北九州市議会 2012-06-13 06月13日-01号
私たちが法律違反していて、そのことについて当然それについては内部告発なりあって規制していく、そういうことについてやっぱりきちんとやらなくて、この議会決議2度にも及んでやっていることについて何ら歯どめがかかっていない、こういうことがやられていくならば世界的な円高、不況を口実にして、やっぱり企業がもうけるときはもうけて、もうもうからなくなったら撤退しますよと、そういうことでいいんでしょうか。
私たちが法律違反していて、そのことについて当然それについては内部告発なりあって規制していく、そういうことについてやっぱりきちんとやらなくて、この議会決議2度にも及んでやっていることについて何ら歯どめがかかっていない、こういうことがやられていくならば世界的な円高、不況を口実にして、やっぱり企業がもうけるときはもうけて、もうもうからなくなったら撤退しますよと、そういうことでいいんでしょうか。
今日の円高不況の中で、輸出関連中小業者の経営状況は大変厳しいものがあると言われています。宗像市内の中小建設業者も仕事が激減をした、これを何とかしてほしい、こういった要望が私どもにも幾つか寄せられています。こういう立場で今回は住宅リフォームの補助制度の実現、これについて質問をいたします。もう一つは、旧3号線の交通安全についての質問、この二つを今回させていただきます。
図書館について、るるお話がございましたが、これまで公共事業を振り返りますと、国全体として非常に円高不況、金融危機、その他貸し渋り、貸しはがし等がありまして、勢い借金もかさみますけれども、地域経済、国民経済のために公共事業を重視するという経済運営が行われてきたと思います。
私は、衆議院の在職時代から、いかにすれば当時円高不況の中で地域経済も深刻な状況であります。それは特に中小零細の事業所、そして、働く市民の家族にとりましては本当に苦痛に満ちた時期がございました。その中にありまして政治家としてできることは、とにかくありとあらゆるこの政策を議論し、そして、地域の発展につながるために国会議員として職責を果たすことでございました。
卓越したアイデアと行動力で、就任当初鉄冷えと円高不況であえぐ本市をよくここまで支えていただき、そしてしっかりとした基盤整備を行っていただきました。そのことに対して心から敬意を表する次第でございます。 末吉市長が卓越したリーダーであることは、中央、永田町からも言われてきました。それは今から4年前、私が北九州青年会議所という団体で理事長をさせていただいたときのことでございます。
振り返れば、市長が就任された当時は、本市の基幹産業であった鉄鋼業の不況に象徴される鉄冷えや、また、円高不況により、地域経済の衰退など大変厳しい状況下にありました。そこで、最初にこの町を再生、浮揚させるためのシナリオとも言える本市の基本構想であります北九州市ルネッサンス構想を策定され、この中で、水辺と緑とふれあいの国際テクノロジー都市へという基調テーマを示されました。
私が市長に就任した昭和62年でございますが、当時は北九州市は、いわゆる鉄冷え、円高不況という言葉で呼ばれておりました。経済の指標を示します有効求人倍率、これが0.32という、まことに今まで歴史的に北九州市を見た場合に最低の状況でございました。何よりも市民の4人のうち3人の方が将来の北九州市に悲観的であったというデータもございます。
まず、次期の総合計画の前に、今までの計画をちょっと振り返りますと、いわゆる重厚長大産業の衰退と円高不況という、そういう中で長期構想をつくりました。そのつくりましたところ、そのときには、何といいますか、北九州の次の産業をどうすべきかと、交通政策、物流基盤、21世紀の都市に必要な要素がまだ未整備でありました。
北九州市ルネッサンス構想第三次実施計画・改訂版の素案がこのたび発表され、 年度末に確定させるとのことであります。 北九州市ルネッサンス構想の部門別計画の総仕上げという位置づけのもと、 これまでの成果を生かした取り組みや行政力の更なる向上に向けてというソフト重視、 地方分権の時代に相ふさわしい考え方を取り入れた計画素案となっていると考えます。 さて、 北九州市ルネッサンス構想を振り返ってみれば、 円高不況
、 そして市民生活に密着した問題、 その数点に的を絞り質問をしたいと思います。 市長並びに関係局長におかれましては、 北九州にとって明るい、 春が近いことを予感させるような、 元気いっぱい、 そして加えて前向きの答弁を期待して、 早速質問に入らせていただきます。 まず最初に、 平成15年度当初予算について質問させていただきます。 思い起こしてみますと、 末吉市長が初当選された昭和62年は、 円高不況
で、 私の第1質問を終わります。 ○議長(片山尹君) 市長。 ◎市長(末吉興一君) 市制発足、 来年が40周年に当たって、 市政16年のかじ取りについての感想、 率直に感じていることをというお尋ねでございます。 就任当時の北九州の状況でございますが、 昭和62年前後の北九州市の経済は、 かつて栄えておりました重厚長大産業の衰退、 交通の要衝性の低下、 それに加えまして、 60年から始まりました円高不況
思えば昭和60年代の初め、本市では円高不況のあおりを受けて、鉄冷えのあらしが吹きすさんでおりました。戦後最大の不況と言われる昨今と比べても、失業率が高かったという逆風の中、末吉市長は市長就任直後から、北九州市を再生に導くためのルネッサンス構想を掲げ、新しいまちづくりを推進されてきました。
振り返れば、昭和62年、当時、本市は円高不況、いわゆる鉄冷えの影響などで最悪の経済状況下にあり、多くの市民が市の将来に対してさえ、悲観的な思いを抱いておりました。